【ポンポン船】「浦賀の渡し」が実は300周年な件【実は日本一短い!?】

浦賀めぐりに欠かせないのが、浦賀湾の東西を結ぶ「浦賀の渡し」!
ジモト・横須賀では〝ポンポン船〟の愛称で親しまれています(上記URLもponponsen.jpですっ!)。


■〝押せば来る〟超ベンリな船!

京急線浦賀駅の目の前にある浦賀湾をグルっと回るようにして歩くと約30分かかるところが、この渡し船を使えばたったの3分!
地元住民の皆さんはもちろん、古い町並みが残る東西浦賀の街を歩くのに欠かせない船なのです。

 

乗船場にあるボタンを押すと、船のブザーが鳴ってこちらに向かってくる、というのも面白い乗り方。

船が対岸にいるとき、ボタンを押せばこちらに向かってきてくれるのだ!

 

こんなボタンがついていると押したくなっちゃうのが人間というもの。
でもダメですよ!用もないのに押したり何度も押したり、ダメですよ!(←ちなみに対岸が見渡せるので、いたずらかどうかは船長が見てすぐ分かるとか)

 


■ポンポン船はなぜポンポン船なの?

 

浦賀の渡しの始まりは、何と江戸時代の1725年前後だそう・・・1725年といえば享保(きょうほう)10年!
なんと就航300年くらいなのです!

当時の将軍は8代・徳川吉宗。
そう、あの「享保の改革」がまさに行われていた時に運航を開始したというから驚きです。

ちなみになぜポンポン船と呼ばれているかと言えば、それは昔「焼玉(やきだま)エンジン」を使っていたから。
焼玉エンジンの仕組みというのはココとかココをご参照あれ。
ド文系の筆者はまったく理解できません。
とにかく、リズミカルにポンポンポンポンという音を立てて走っていたから、そう呼ばれていたに違いありません。

 

昭和36年頃の様子。街並みは現在とあまり変わらないかも!

 

年代不明。昭和50年代と思われます。このタイプは見覚えがある人が多いかと

 

しかし───
焼玉エンジンなど存在しない江戸時代には一体どんな感じだったの?と思ってしまいます。
例えば帆を張って?とも考えられますが、こんな短い距離を行くのにちょうど良い風が吹いてくれるとは限りません。

だからもちろん、自力!
長い間、ひたすら船頭さんが「櫓(ろ)」を漕いで西と東を往復していたのです。
この頃はもちろんポンポン船とは呼ばれていませんよね。

年代不明。船頭さんが乗っているのが新鮮!

 


■今はいったいどんな音!?

 

ということで、令和に蘇った船頭さんの姿が、こちら!

モデルは大友渉(しょう)船長。船長さんは日替わりで若いのからベテランまでいろいろ!

 

ところで、気になるのは音。
今は効率の良いディーゼルエンジンを積んでいるのでポンポンという音はしません。

──ではどんな感じ??

実際の音を聞いてみましょう!

 

・・・ドドドドドドドドドドドド?

いや、どっちかと言えばドロロロロロロロロロロ!という感じ?
そうなると「ドロロロ船」ってことですね(笑)。

もしかしたら、何十年か経ったら呼び名が変わっているかもしれませんよ!


■実は日本一短い・・・?

 

ところで、浦賀の渡しの乗船時間はだいたい3分。
距離にしてたった230mくらいの短い短い船旅です。

令和5年4月現在、日本全国で運航している渡し船は30以上あるそうですが、今まで日本一短かった「音戸(おんど)の瀬戸」(広島県呉市)が残念ながら廃止となってしまったようです。

そうなると、あれ・・・も、も、もしかして・・・実は浦賀の渡しが「日本一短い渡し船」・・・かも?

仮にそうでなくても、少なくともベスト3には入っているはず!
本当に〝日本一短い〟のかどうか・・・は今後の調査をお待ちください。

〝ポンポン船〟で浦賀港を突っ切る、日本一短い(と思われる)3分間のプチクルーズ
レトロな街並みも歩ける小さな発見の旅へ、いざ!

 

この記事を書いた人

横須賀&三浦半島のディープな情報を独自目線で発信!

三浦半島へ行こう!

かつて存在した地域情報サイト「三浦半島へ行こう!」からスピンオフ!?
もはや伝説と化した老舗サイトの元管理人が“いま”の三浦半島をレポートします。
知っている人も知らない人も・・・フツーのWebでは見られない、ジモト発のとっておき情報をお届け!

#三浦半島へ行こう #横須賀 #三浦 #逗子 #葉山

浦賀の渡し
横須賀