【ダンジョン?な「三笠ビル」も】昭和の名建築が残る横須賀の街はどうやってできた?【レア展示5/21まで】

現在、横須賀の市街地は大きく変化しつつあります。

横須賀中央駅前では、象徴的な商業施設「横須賀プライム」が解体され、新たな商業施設として生まれ変わる予定です。
そもそも横須賀中央の街はどのように形づくられ、どんな変遷を遂げてきたのでしょうか?

そんな疑問に応えてくれるのが、横須賀市自然・人文博物館 で5月21日(水)まで開催中の特別展示「市街地が語る横須賀~中央・追浜の先駆性と変貌~」 です。 今回は学芸員の亀井泰治さんに、珍しい展示を案内していただきました!



横須賀のまちはこうして生まれた!

江戸時代末期までは小さな漁村だった横須賀。
その頃は当然、〝市街地〟はありません。
特に横須賀中央エリアに繁華街ができたきっかけは、1871(明治4)年に完成した横須賀製鉄所(造船所)
ここを中心に繁華街が生まれ、少しずつ発展して周辺に商業地や住宅地が広がっていきました。
造船所は後に「横須賀海軍工廠(こうしょう)」となり、やがて横須賀は一大海軍基地に変貌。
そうなると軍人、工場で働く人、家族、買い物する場所、娯楽・・・など、さまざまな建物によって〝街〟が形作られていったのです。
横須賀の市街地がさらに発展したのは、明治時代に〝軍港都市〟になったからだと言えそうです。
「横須賀の下町地区で最初のまちづくりは、(造船所で働く)フランス人向けの遊郭(ゆうかく)だったそうです。ちょうど現在の三笠ビル(後述)周辺に設けられていたそうです」と亀井さん。
展示では、明治期の地図や貴重な資料が豊富に揃っており、当時の街並みや暮らしを実感できます。


横須賀中央の埋め立て事業は民間が行った!?

ところで、現在の京急線・横須賀中央駅周辺の市街地エリアの大半が埋め立て地であることはご存じでしょうか?
今では海を埋め立てて土地にすると言えば、自治体などによる公共事業を想像するところですが・・・
実は、現在の小川町や若松町のエリアは、民間による埋め立てで誕生したのです!
なかでも「若松町」という町は、埋め立てを行った高橋勝七(当時の浦賀町在住、浦賀町会議員や衆議院議員を歴任)という人物から名前がついたもの。彼は会津藩と関わりがあったため、会津若松から「若松」を取って名付けたと言われています。

しかし、民間人が埋め立てをするとなると、町全体のデザインはどうなるのでしょうか。
「関東大震災以前は、都市計画がなかったため、民間人がそれぞれ勝手に土地の整備を行っていました。それもあって、建物がやたらと〝密集〟してしまう場所ができ、結果として何度も大火事の被害にあってしまったのです」

展示では、高橋勝七の名前が記された当時の地図も見ることができます。ぜひ探してみてください!


〝横須賀のダンジョン〟三笠ビルはどうやってできた!?

横須賀中央の商業エリアに建つ 「三笠ビル」 。
一見すると普通の商店街のように見えますが、実は歴史の深い建物なのです。

最近では一部マニアの間で有名になっているこのビルは、構造が独特で、たくさんの建物が連なって出来ている様子はまるでダンジョンのよう。


実は、この三笠ビルができるのには〝火事〟が大きな影響を与えています。
ここにある既存の商店街を、「耐火構造」のあるビルにできないか?
——そこで考えられたのが【外壁の共有化】でした。
建物群を長い1枚の外壁で覆うことにより、ひとつの巨大な建物のようにしたのです!
「加えて、組合組織で商店街を運営したり、設備に最新のものを取り入れるなど、建物も運営も、今までに無かった画期的な方法で既存の商店街がよみがえったのです。そのため、1959(昭和34)年にできた当時は〝ショッピングモールの先駆け〟とも言われ、全国的に名の知れた商店街だったのです」
展示では、模型やVR で、そんな〝ダンジョン〟の内部構造を立体的に見ることができます。

商店街としての役割を超え、横須賀の歴史の一部となった三笠ビルの秘密を、この展示でじっくりと見てみてください!

三笠ビルの模型


まとめ:展示の見どころはここ!

✅ 明治~昭和の横須賀の市街地形成を詳しく学べる!

✅ 横須賀中央の「埋め立ての歴史」が分かる!

✅ 三笠ビルの模型やVR展示で、ビルの歴史を体感!

「市街地が語る横須賀~中央・追浜の先駆性と変貌~」は、横須賀のまちの歴史を知る絶好の機会です。2025年5月21日(水)まで、横須賀市自然・人文博物館 で開催中!

展示を見た後は横須賀中央の街を歩いて、実際の景色と展示の内容を照らし合わせてみるのがオススメです。
特に、展示でも紹介されている三笠ビルを訪れれば、まちの変遷をよりリアルに感じられるはず!地元の魅力や歴史に触れられるこの機会を、ぜひお見逃しなく!

亀井さん、ありがとうございました!!


この記事を書いた人

りお

内田莉央

2003年生まれ。横須賀生まれ、横須賀育ち。
三浦半島を観光まちづくりの視点で盛り上げていきたいです!
最近は某男性アイドルオーディションと筋トレにどハマり中。
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