【華麗なる転職】逗子に眠る、絶景の砲台遺構〜披露山公園【阿部ちゃんのマニア解説】
東京湾の入り口とあって、首都防衛に優れた位置にある三浦半島。旧日本軍関連の遺産というと、「横須賀海軍鎮守府」や「猿島」を抱える横須賀のイメージが強いですが、横須賀市外にも数多くの痕跡が眠っています。
逗子市披露山(ひろやま)の山頂にある「披露山公園」は、そんな三浦半島にある旧軍関連遺跡のなかでも知る人ぞ知る、相模湾の絶景が楽しめる砲台跡。そこには神秘的な遺跡とは一味違う、華麗なジョブチェンジを遂げた高射砲台の姿がありました。
砲台はどこに?
閑静な住宅地の披露山山頂にある披露山公園。サクラやヤシの木など多くの植物に彩られ、落ち着いた明るい雰囲気の公園は市民の憩いの場として60年以上もの間親しまれてきました。地元幼稚園のピクニックや子供達の遊び場であることはもちろん、逗子駅からのバスも多く適度な坂道もあるため、ウォーキングにも人気です。
一見すると軍関係の遺構という雰囲気のない、綺麗に整備された公園。砲台跡はどこにあるのでしょうか?

実はこの写真の中に、砲台跡も大きく映り込んでいます。
答えは右に見える「花壇」、中央に見える「展望台」、そして左奥の「猿山」です!
円形の大きな花壇は、元々高角砲の台座だった丸いコンクリートの部分をそのまま使って造られています。中央には草木が茂り、周囲を細い池で囲った珍しいスタイル。南国風の低木も爽やかですが、池に泳ぐ小魚は子供達にも人気です。
相模湾を一望!絶景の展望台も元砲台
多くの木々に囲まれ、緑豊かな披露山公園。山頂という立地にありながら、木立ちが防風林の役割も担っているため風は穏やかです。逆にいえば、公園の外の景色を見られる場所はあまりないということになります。そんな中で相模湾を一望する絶景を眺められるのが、「展望台」。

花壇が砲台の遺構とはいえ造成時に大きく手が加えられている一方で、比較的当時の面影を残したまま改装されています。


外から見ると、花壇と同じく丸い台座に展望台が建っているのが分かります。
一部では当時の基礎がそのまま露出していて、斜めになった内側の壁、砂利の粒が粗い当時モノのコンクリートなど、砲台座としての姿を窺うことができます。
元々はここにも高射砲が設置されるはずでしたが、物資不足などの関係から高射装置などを備えた観測所として使われていました。ここに設置予定だった高角砲は、一説によると横須賀海軍工廠で建造された重巡洋艦「高雄」に流用された、とも言われています。
砲台は猿を呼び寄せる?動物園にジョブチェンジ!
披露山公園にある施設の中でも一際特徴的なのが、この金網でできたドーム。
このドームの中では猿を飼育していて、いつでも無料で見ることのできる動物園になっています。
そしてこの猿山の土台も、大きく丸い形。そう、なんと「動物園に転職した砲台」なのです!

「猿島に猿はいません…」というのは猿島案内での定番文句ですが、実際に猿にまみれた(?)砲台を見ることができるのがこの披露山公園。
無料で入れる公園で猿が飼育されているというのも驚きですが、この猿山は披露山公園で最も原型を留めた砲台跡でもあります。中を覗いてみると、丸い形や当時のコンクリートはもちろん、傾斜した側壁や弾薬をストックするための小さな横穴まで、ほぼ完璧な状態で当時の姿そのまま。もしかすると、猿島よりも状態が良いかも…?
即応弾ストック用の穴は猿の隠れ家に、砲手が退避するための掩体は飼育室から区切られた小部屋になっています。中央の丸い水飲み場の周りには、高角砲の取付け台座と思われるコンクリートの境目も見えます。形状はほとんどそのままに、ここまで役割を変えて活躍できているのが不思議な感じです。


砲台跡としての見どころもありますが、かわいい猿の姿にも目が惹かれます。
猿山の上でお昼寝をする猿、毛繕いをする猿、野菜を食べている猿、元気に駆け回る猿…
間近で繰り広げられる猿の日常に目が離せなくなること間違いなし。
昨年には7年ぶりの赤ちゃん(女の子)、「アヤメちゃん」が誕生!今しか見られない可愛い姿、ぜひ会いに行ってみてください!

小坪高角砲台とはどんな施設だったのか…?
砲台から市民の憩いの場として見事生まれ変わった披露山公園。かつては「小坪高角砲台」という名前の施設でした。高角砲とは、敵の航空機を撃ち落とすため空高く砲弾を撃ち上げる大砲。猿島や第二海堡といった「要塞」、また軍艦にも多く搭載されていました。これに加えて敵機までの距離を測る「測距儀」、弾道計算を行う「高射装置」、敵の姿を照らす直径1.5mもある巨大なサーチライト「探照灯」を備えた、「空襲に対する守りの拠点」だったのです。
この小坪高角砲台が守っていたものは首都東京、そして横須賀海軍鎮守府。今から80年前の1945年7月に横須賀軍港を襲った「横須賀空襲」では、猿島とともにアメリカ海軍空母艦載機に向かって火を噴きました。小坪砲台の放った砲弾による撃墜戦果の記録もあります。
この空襲では軍港内の多くの艦艇が被害を受けましたが、爆撃目標であった「戦艦長門」は健在。猿島と並んで、戦艦長門の不沈伝説の一角を支えていた砲台です。
そして終戦から80年。華麗な転職を遂げた小坪高角砲台は、花壇、展望台、猿山になっている3つの12.7センチ高角砲台座のほか、防空指揮所の基礎部分はレストハウスに、兵舎があった土地は駐車場に…と、一見軍関係の遺産に見えないような部分も存分に活用されています。駐車場から公園までの間にはセメントで塞がれた壕のようなものも見えますが、これも弾薬庫などの施設だったのかもしれません。
かつては国防の砦として日本国民を守ろうとした小坪砲台。今では公園機能のほか、津波避難施設として災害から人々を守る存在でもあります。軍事施設の面影を残しつつ、地域の笑顔が集う場となった披露山公園。昭和100年、そして終戦から80年を迎える今だからこそ、一度訪れてみてはいかがでしょうか。
<施設情報>
所在地 :〒249-0007 神奈川県逗子市新宿5-4-1
電話 :046-871-4941
駐車場 :8:30~16:30
アクセス:JR逗子駅よりバス15分 [披露山入口]にて下車
この記事を書いた人

マニア目線で船&史跡を徹底解説!
阿部 稜平(あべ りょうへい)
2001年生まれ。船舶、海運、海洋科学などの話題を中心に執筆する海事系ライター。同人活動をきっかけに、フェリー、クルーズ船、練習船、軍艦など多様な船舶への乗船と取材を経験。現在は横浜港、横須賀港、東京港をメインに活動中。